アメリカの大統領選へ民主党候補として名乗りをあげていたハーバード大学法学者、ローレンス・レッシグが出馬撤退を表明した。
ローレンス・レッシグといえばサイバー法の古典”CODE”やクリエイティブ・コモンズの創設者としての知名度が高い。
「なんでクリエイティブ・コモンズのひとが大統領選出馬?」
「しかも言ってることインターネットや著作権にまったく関係なくね?」
と思っている人も多いのではないだろうか。
前の記事「ローレンス・レッシグ、アメリカ大統領選出馬するってよ」で詳しく書いたが、彼が掲げたマニフェストはたったひとつ。「市民平等法(Citizen Equality Act)」を法制化し、アメリカの選挙制度を変える。これだけだった。
現行のアメリカの選挙制度では、アメリカの選挙に影響力を及ぼしているのは全米でたった400家族だけ。これでは大多数の人の意見はほとんど反映されず、「民主主義」とはいえない。この制度をまず改革しなければならない。レッシグのキャンペーンコピーも「Fix Democracy First」と、「政治腐敗を撤廃し、幅広い人々の意見が反映されるような政治制度の仕組みを作ること」にすべての力が注がれていた。
…とはあるが、そもそもレッシグはなぜ政治腐敗撤廃へと方向転換してしまったのだろうか?
その答えは出馬撤退を表明したこのスピーチにあった。
「すべては、友人であるアーロン・スワーツが『インターネットの問題より先にこの腐敗した民主制度を改革しなければならない』と私に後押ししたことから始まった」
この記事やこの記事でも繰り返し書いているが、レッシグ教授は自殺した天才ハッカー、アーロン・スワーツの友人だった。スワーツも最初は著作権や知る自由、情報のフリーシェアの活動を最初はしていた。しかしアメリカの政治制度では根本的な解決はできないと考え、民主主義や政治の透明性といった広範なイシューにその関心を移していった。彼の行動はハーバード大教授であったレッシグに多大な影響を及ぼした。
そして、この記事で書いたアーロンの決定的な一言。
「それじゃあ、一人の市民として、それはきみのかかわる領域かい?」
この言葉を残してアーロン・スワーツは自殺した。
彼の死がレッシグの出馬に深く関係していることは疑いようがない。この夏、レッシグは1ヶ月足らずで100万ドルの資金をクラウドファンディングで調達し、出馬に名乗りを上げた。しかし結局、支持率は1%を割り、それが理由で民主党がレッシグを候補者ディベートに呼ばなかったことで「党は自分を推す気がない」とレッシグは判断し、この出馬レースから降りると宣言した。
撤退が決まったあとのCNNのこのインタビュー。「億万長者じゃないからって、政治家じゃないからって選挙に参加できないのはおかしい」「アウトサイダーを閉め出さないでくれ」と半狂乱(それでも論理は通ってるが)で訴えるレッシグ。この主張こそ、レッシグが大統領となって変えようとしていたことなんだと伝わってくる。(ちなみにレッシグは「インターネットはアウトサイダーを締め出さなかった構造だったからこそここまで発達したのだ」と以前述べていたことがある)
そしてそのルールを変えようとしていた矢先に既存のルールによって閉め出されてしまう皮肉…さらに彼が強く批判しているドナルド・トランプ(もうまったく絵に描いたような「億万長者の腐敗した政治家」だ)が躍進している現状もあいまって、涙なしには見られないインタビューとなっている。。
インターネットが政治を変えるには、まだまだ乗り越えなければならない壁がたくさんある。
米大統領選から #ローレンス・レッシグ が撤退。理由は「ネットの知名度が全米に普及しなかった」。 #海賊党 、インターネッ党にも通じているこの「ネット✕政治への(過剰な)期待と失望」は2010年代のテーマになるかもな。日本経済新聞 https://t.co/oulB82wqc1
— Rio (@ld4jp) November 3, 2015